筋トレドイツ語好き大学生のブログ

筋トレとドイツ語その他さまざま考えたことなどを綴っていきます。

ドイツ語筋トレ大好き大学生の日常#2 当たり前の大切さ

みなさん、こんにちは!

 

気づけば4月も中旬に差し掛かかえり、桜も葉桜になってきました。最近は外出自粛で町には行けないので、人のいない家の周りをランニングしています!

 

最初は3,4キロから始めたのですが、距離がどんどん伸びていき今日は兄と父と20キロ走ったので、足がとても疲れましたが、とても有意義な時間を過ごせました。こうした些細で当たり前なことが大切だな、、と身に染みて感じています。

 

f:id:Tsubasakun:20200417095746j:plain

ということで今日は、日常、当たり前の大切さについて思ったこと、最近感じたことを書いていこうと思います。

 

今回のコロナの件で、今まで当たり前だったことが、どんどん当たり前でなくなっています。世界が前代未聞の大きな壁に直面していると言えると思います。何気なく当然だと思っていたことも、こうした事態になったことで何もかも当たり前ではなくなりました。一日でも早く日常が戻ってくることを心から願うことばかりです。医療現場などの第一線で命を張って働いている人々には感謝してもしきれません。

 

このようにあまりにも当たり前すぎてその大切さに気付かないことが本当に多いと身に染みて感じています。

僕の好きな歌の一つでJamosaさんの「何かひとつ」というの歌の中でこういう歌詞があります。

 

幸せって結局何かを失った時に気付くから

 

  本当にこの歌詞通りだと思います。しかし、中々今の自分の現状に満足できず、これがあれば、、できれば、、などの欲求がどんどん増えていくのも事実です。人間なので仕方ないことであると思いますが、よく過去を振り返り、あの時こうしておけばよかった、かけがえのない時間だったのにそれに気づかなかった、と後悔することも多いと思います。

 

だからこそ、今普通に暮らしている日常に感謝して過ごす必要がありますが、頭では分かっていても心からそう感じるのが難しいときも僕はあります一度その日常が当たり前でなくなり、またその日常に戻った際には、そのありがたみが痛いほどわかる感じています。

僕は約1年前、タイの少数民族の村に3週間ほどボランティアをさせてもらいました。その村は、電気はすこしだけ、トイレはぼっとん便所のようなもの、お風呂もトイレで水を浴びるようなところでした。最初こそあまりにも現代からかけ離れているので抵抗もありましたが、徐々に慣れていき、とても密度の濃い楽しい時間を過ごせました。そうした環境から日本に帰ってきて、電気がついている、部屋がしっかりしている、温かいシャワーが浴びられる、温かい布団で寝れるなど行く前だったら全く当然のことがとてもありがたく感じられました。しかし、不思議なものでそれにもすぐに慣れてしまい、すぐに他のことに対して欲望が出てきてしまいます、、。

 

今置かれている現状に満足し、当たり前に感謝をして過ごしていくためには、ある程度自分の中での幸福度を下げた方がいいのかなとも思います。例えば、好きなものを好き放題食べていればそれが当然となり、あまり食事に対する感謝が少なくなるかもしれません。逆に普段食べ物を節制しており、たまに食べる自分の好きなものは格別においしいですし、食べ物ありがたさを感じることができると思います。自分の居心地のいい場所ばかりにいると、それが当たり前になり、感謝が生まれにくいのかもしれません。そのため、普段から様々なことにチャレンジし、その場所を飛び出すことでありがたさを感じやすくなるかもしれません。

 

 これからいろいろ現状に不満を持つこと、あれやこれやしたい、欲しいと思うことが限りなく出てくると思います。それ自体は、成長のために良いことだと思いますが、そこばかりに目を向けすぎると自分の足元にある本来大切である当たり前や日常の大切さを忘れてしまいかねません。そのためにも、きれいごとですし難しいことですが、一つ一つのことに感謝できたらいいと思います。

 

 

 最後まで読んでくださり、ありがとうございまいした。

 

また次回の投稿で!